どうせAIに要約させてるんでしょ?→いえ、世の中そんなに甘くありません。手書きが一番効率がよかった。

AIが1000ページ超の古典の要約ができたらどんなにラクかと思いましたが、残念ながら、私の右手首を入念にストレッチしなければいけない日々は続きそうです(笑)。

 

あらかじめ申し上げておきますが、私はAIが各業界にどのように影響を与えるのかなどを論じるつもりはありません。

あくまでここでは、『自分の講座とAIとの関係』についてのみ、書きます。

人間の創造物には必ず何かしらの弱点があるように、AIにも弱点はあります。その弱点を記述するので、多少意見が先鋭化しているように映るかもしれませんが、しかし、それはAIの全否定やAIを使うべきではない、ということを申し上げたいわけではないことは、最初に明言しておきたいと思います。

 

では、始めていきます。

 

 現状の『Chat GPT』の精度だと、たとえ今現在最新の有料版『Chat GPT-4』を用いたとしても、文章の校正の作業を任せると、500字程度に抑えなければオーバーフローするそうです(『現代ビジネス』のネット記事に掲載されていた、一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による体験談)。これでは、1000ページを超える作品の要約を委ねることはできません。

 

仮に、上記のオーバーフローの問題が解決したとしましょう。

 

今現在においては、「某国政政党の代表が『政党名+自分の名前』を入力しても、『そのような人物は存在しません』と返された」、「とあるテレビ局一筋のアナウンサーが、別のテレビ局に所属していると言われた」、「とあるプロ野球球団一筋の選手が、別の球団に所属していると言われた」など、基礎的な知識すらあやふやな状態ばかりが報告されているAIならば、とても信用できません。少なくとも、今現在は人間のチェックがなければ怖くて使えない状態ですから。専門レベルの知識ならば、なおさら、きちんと確認できる専門家が必要です。これは、数多くの有識者から報告されていることです。

 

なので、AIが文章を要約しても、基礎的な知識を間違えている現在のAIのレベルでは、内容が本当に正確なのかをチェックする人間が必要です。古典文学にあてはめるならば、手元に原作となる作品があり、当該作品を最初から最後まで読んだ人間が確かめられる資格を持ちます。

 

たとえば、『イリアス』という作品の要約を『Chat GPT』に頼んだとしても、その内容が正しいのかどうかは、読んだ人間でなければわかりません。私は読んでいますが、細かい内容までは覚えていませんので、手元にある『イリアス』の原稿や読書メモと照らし合わせながら、確かめなければいけません。

 

また、〝要約〟と一口に言っても、テーマのごとく一言に圧縮するのも要約ですし、起承転結の4文でまとめあげるのも要約ですし、数百字程度でまとめあげるのも要約ですし、あるいは10時間以上かけて読み上げるものもまた要約です(一般の方は、すぐにはそう思わないでしょうけど)。つまり、要約にはとても幅がある、ということです。私はそれらを使い分けする技術を持っています。そして、特に『肉付け要約≒朗読』の原稿がインターネット上に漂流することはあり得ません。

 

『Chat GPT』に、「斎藤佑樹について教えて」(質問文には『選手』や『さん』などの敬称はありませんでした)と、訊ねてみた人がいました。私はその解答を読みました。すると、埼玉西武ライオンズに入団(正しくは、北海道日本ハムファイターズに入団)したことや、プロ野球選手でありながら大学野球を続けたような書き方(そんなことはあり得ない)などの間違いが目立ちましたが、ここではそれらに焦点を当てません。

 

私が問題だと思ったのは、斎藤佑樹さんを語る上では絶対欠かせない、2006年の夏の甲子園で、早稲田実業のエース投手として優勝に大きく貢献したことを、『Chat GPT』が一切語ってくれなかったことです。斎藤佑樹さんは、残念ながら、プロ野球選手としては大きな活躍をすることはできませんでしたが、夏の甲子園で大活躍したことは、誰も否定できない事実です。『ハンカチ王子』の愛称がついたり、『佑ちゃんフィーバー』が起こるなど、当時のビッグスターとしてマスコミに大きく取りあげられました。しかし、『Chat GPT』は、こういったことに一切触れることはありませんでした。

 

斎藤佑樹について教えて」と訊かれて、斎藤佑樹さんのことを少しでも知っていたら、「夏の甲子園で見事な活躍したこと」を省く人はいません。日本社会に及ぼしたインパクトを考えるとき、斎藤佑樹さんの場合、夏の甲子園での活躍があまりにも絶大であるので、ここを欠かすことはできないと、人間ならばふつう判断します。ですが、『Chat GPT』は、こういった人間の感情を理解できないが故に、夏の甲子園での活躍を省いてしまうのです。

なので、古典を要約すると言っても、「受け手にとって何が大事か」を考える際に、人間の感情の理解が必要になるのです。

 

 それから、画像生成AIの体験談についていくつか記事を読みましたが、『人の腕がテーブルを貫通する絵が生成された』『舌が二枚ある犬の絵が出てきた』などの、人間が絵を描く場合には、あり得ないものが生成されたそうです。やはり、画像生成においても、AIは常識を理解できないが故に、こういったミスが生じてしまうのだろうなと思います。ある程度ならば修正はできるそうですが、修正作業自体をけっこう面倒だと感じられたり、自分で描いた方がマシだと感じる場合もあるそうです。

 

今現在ではオーバーフローの問題がありますので推測にすぎませんが、仮に1000ページ超の古典を要約する場合においても、人間の感情や常識を理解していないと、AIは細かいところでは必ずこういったミスを犯してしまうのだろうと思われます。

別に人間側が絶対的に正しいとも思っていませんが、少なくともAIにだけ依存するのは、現段階では残念ながらできません。

 

他にも、いろいろ列挙します。

 

・「その作品の文章量が多ければ多いほど、その作品が人間の頭に残りやすくなる」ということを考えれば、結局、AIは相当量の文章を作らなければなりませんので、そこまでいくと「読むのか? 視聴するのか?」という問題になります。ここでも差別化できます。

 

・私は『肉付け要約≒朗読』で、視聴者さんの頭に残りやすいように、多少、声の演技をするので、演技に緩急差をつけて朗読するということまでいくと、なかなかAIがこちらの模倣を完璧に行うことは困難になるのでないかと思います。

 

・生成AIが発達すればするほど、人間の持つ表現力の重要性がどんどん増してきます。

生成AIがいくら多種多様な創作技術を持っていても、人間の側にそれを引き出すための表現力がなければ扱いきれません。また、AIの作った創作物の修正をするにあたっても、その是非を判断できる頭脳が必要です。なので、人間の側がどれだけ表現力を持っているか、ということがAIを使うならばむしろ大事になってきます。

また、AIが人間ではないことを踏まえると、先述したように、本当の意味で人間の感情を理解することができませんので、私たち自身で補う場面が必ず出てきます。古典を多読することで、表現力向上と人類普遍(不変)の感情の獲得が同時にできますので、視聴者さんの未来においても必ず役立つことになるでしょう。

 

・AIは人間ではありませんので、こちらが重視している「忘却」の概念を絶対に理解することができません。抽象的にも具体的にも「人間の忘却力」に焦点を当てて講義すれば、差別化できます。つまり、脳科学の知見をお伝えしたり、私自身の忘却力の体験談や「忘×」の取り組みを話しながら、講義を展開するつもりです。

AIが知識を持っていることと、人間が自らの強大な忘却力に常にさらされながら知識を保持し続けることは、まったく別次元の話です。

 

・そもそもの話、AIは学習しなければいけないのですが、そうそう1000ページ、2000ページの作品を寄り道部分を省いて、物語の流れに沿うように要約して、タダでインターネット上にアップロードする人がいるとは思えません。そうなると、AIは学習することはできないので、学習が困難ということになります。

 

ということで、将来的にどうAIが発達するかはわかりませんが、今しばらくは問題ないのではないかと思います。まあ、最後の砦として、AIが行う講義と、映像越しとはいえ人間が行う講義のどちらの方を大衆は好むか、というのがカギになる日が来るのかもしれませんが。

 

なお、一応申し上げておきますが、私自身は別にAIを敵視するつもりはありません。

私の唯一の敵は、人間の持つ強大な忘却力であり、これに対抗することこそが、この講座の一番の目的です。

この講座全体のテーマは、1000ページを超えるような長編古典の教養であっても、視聴者にわかりやすく、忘れないように、死ぬ気で頑張ってお伝えすることですが、一番のアクセントは、「忘れないように」ですので。