この講座自体の説明

この講座は、端的に申し上げて、1000ページを超えるような長編古典の教養であっても、視聴者にわかりやすく、忘れないように、お伝えすることをテーマとしています。

 

日本の教育制度では、長編古典を解説してくれる教師がいません。大学時代に、『罪と罰』をみんなで輪読する、という授業があったのですが、しかしたった一年でなくなりました(大学教授の気分次第で授業があったりなかったりするということです)。

日本の国語教育においては、短いページ数の作品を精読するというスタイルが一般的です。もちろん、それはそれで大事なことではあります。一般社会において、一文一文吟味するということが必要な場面というのは必ずあるでしょう。

 

しかし、1000ページを超えるような長編古典からも、一文一文、文章を吟味するのとは異なる教養がもたらされるのもまた事実であります。こちらの予定している講座では、一文一文吟味するというよりはむしろ、「作品全体で何を言っているのか」ということを重視して講義を展開するつもりです。要するに、「作品全体のテーマの解釈」を中心に行うということです。

 

もちろん、学校の授業のように短い作品をじっくり読むことと、長編作品のテーマを解釈することに、優劣はありません。例えるならば、短距離走のランナーと長距離走のランナーのようなものです。学校の授業が短距離ランナー向けとするならば、こちらの講座は長距離ランナー向けであります。100メートル走が得意な人もいれば、10000メートル走の方が得意な人もいる。短距離走長距離走も両方得意な人もいれば、両方苦手な人もいます。

 

しかし、学校の授業では短距離ランナー向け、つまり短い作品をじっくり読むための授業しかないので、この講座では長距離ランナー向け、つまりページ数の多い長編作品を中心に扱っていきたいと思います。ちなみに、私自身は、長距離ランナータイプです。短距離は苦手です。残念ながら、紫式部島崎藤村のような二刀流ではありませんでした(なので、詩や短歌は扱いません)。

 

では、1000ページを超えるような長編作品を扱うとして、視聴者に何を求めるのか? 

――まず「その作品の筆者の主張やテーマ」をきちんと解釈する方法を紹介すること、さらに1000ページを超える作品が読むのが面倒だ、という方のために、きちんとした根拠と併せて「その作品の筆者の主張やテーマ」を当該作品を読まずともご紹介することです。

 

なお、2800年前の作品から読書メモを取りながら考察してきた結果として断言できますが、「物語のテーマが1つだけ設定されている作品」は、たった2つしか類型(パターン)がありません。そしてそのどちらも、読書メモを取り、整理したレポートを書けば誰でも解釈できます。

 

だから、作品全体のテーマを解釈する難易度は、実はとても低いです。そもそも、分厚い作品というのは、全てではありませんが、相当に充実した説明量でわかりやすく文章を書いている、というのがほとんどです。説明を丁寧にわかりやすく、読者に忘れられないような作品を書こうとすると、文章量が膨大になるのです。なので、こちらがテーマを取り違える心配はほとんどありません。現代文のテストの問題で作品のテーマを読み解くとき、ヒントが1つしかないとするならば、長編古典では、100も200もヒントがあるので、テーマを取り違える可能性は非常に低い、という感じです。ですので、読書メモをしっかり取って、それを整理したレポートを書けば、誰でもできると思います。

 

ただし、「きちんと根拠を踏まえて、他の人に説明する」となると、1000ページを超える長編作品では、かなり手間がかかります。さらに、『平家物語』(873ページ)、『三国志演義』(2641ページ、ただし挿し絵多い)、『風と共に去りぬ』(1840ページ)などなど、複数の長編古典で読書メモを取って整理レポートを書く、という面倒なことが出来る人はあまりいないのではないかと思います。個人的な実感として、やっていること自体は楽しいし、続けたいと思いますが、一方で「面倒」という感情も否めません。

しかし、その「面倒」を請け負うからこそ、この講座にお金を払ってもよい、と視聴者さんに思わせたいなと考えています(もっとも、視聴者さんにお金を払っていただくことはそこまで単純ではないと思いますので、さらに工夫を凝らしますが)。

 

また、講座全体のテーマとして、『忘×』を掲げてお話します。勉強したものを、読書した本のテーマを、視聴者にとって『一生モノの記憶』にすることを理想として、それに近づくための具体的な理論や方法論を、科学的な視点と、古典を多読した経験則(科学的に証明することが困難であるがゆえにやむを得ず経験則)に基づいて、視聴者さんにお話していきたいと思います。

 

逆に言えば、『忘×』以外のテーマは、各々の古典に委ねるつもりであり、私からお話するつもりはありません。古典の中に特定の宗教や政治思想などが混じっていることはありますが、それは私自身の主張ではなく、その作者個人の主張であります。私自身の方から、特定の宗教や政治思想などについて、少なくともこの講座で開陳するつもりはありません。

 

付け加えておきますと、人間は大なり小なり考えが偏っていますが、古代ギリシア時代、古代ローマ時代、古代インド文学、中国文学、近現代欧米文学、そして我が国日本の、『古事記』から昭和期の名作に至るまで、時代も場所も全く異なる作品群を扱いますので、どこかに思想が偏ることはありません。量を積み重ねて視聴していけば、視聴者さんは人類普遍の感情を獲得し、しかし古代の思想にも現代の思想にも日本の思想にも外国の思想にも縛られ過ぎない、柔軟な思考を持つことが可能になるでしょう。

 

「1000頁を超える古典なんて読むの面倒くさい」とか「こんな分厚い本、読む時間がないよ」というようなネガティヴな感情は大切にしていきたいな、と思います。だから、『ネタバレ無し紹介』『ネタバレ先行要約』など、詳しくは別のところで記述していますが、1000ページを超える作品の筆者の掲げるテーマだけでも、短くコンパクトにお伝えする動画を作りたいと思います。

 

この講座は教養レベルであり、逆に言えば、専門レベルまで深化することはありません。重点解説する作品に関しては『読書会』を設けますが、これもまた徹底的にその作品を掘り下げるというものではなく、あくまでテーマを中心にお話しする程度です。文学の専門用語を用いることはほとんどありませんし、私自身も、多くの古典の文章と同じように、「わかりやすく」をモットーにお話しします。なので、「この作品を徹底的に極めたい!」という願望をお持ちの方とは残念ながら相性が合いません。これはあらかじめ、きちんと申し上げておきたいと思います。