【うさんくさいぞ】古典を未読でも本当に大丈夫?

 まあ、当然の疑問ですよね。本屋で見かけた1000ページを超えている、とても分厚い本を見て、「こんなの読めるのか?」と普通は思います。まして、それを読んでいない人間にお伝えできるのか、誰だって疑問に思われるでしょう。

 

 私も以前はこういう風に戦々恐々としていましたが、実際に読んでみると、「分厚い作品って、説明量が多くてわかりやすいな」という感想を抱きました。感触としては、意外とスルスルと最後までたどり着けた感じです。

 

 特に古典文学系はそうなのですが、ほとんどが大衆文学です。文豪だって、多くの一般の人にお伝えしなければ、小説家としてはおまんま食い上げとなってしまいます。だから、あまり難しい言葉を使う必要もないし、難解な題材にする必要もないのです。

 

 古典の内容自体はどうでしょうか? 古典というのは、時代淘汰と大衆淘汰という大変厳しい審査を経てきた作品、ということになります。もしも、その内容が周りの人に伝えたいを超えて、後世の人に伝えたい、ということになれば、印刷機もない時代に書き写さなければならず、ためにならない作品や面白くない作品に対しては、昔の人だってそんな労力は払いたくありません。実際、たとえば古代ギリシア文学だと、2000年以上前ですから、名の知れた作家でさえ、時代淘汰に耐え切れなかった作品があるのです。ですので、書き写す手間をかけても伝えたい(文章を手で書き写すのはかなり大変なのですが)、そういう人が、少なくともまともな印刷技術ができるまでは、各々の時代に存在しなければなりません。

 

 もちろん、それ以前に作品がその時代の人たちに愛されなければなりません。つまらない作品が淘汰されるのは現代でも変わりませんから。ベストセラーになるのはほんの一握りで、さらにその中から1000年も2000年も各々の時代の人々に愛されるのは、これは尋常なことではありません。

 

 したがって、作品の内容も、十分に洗練されたものと言えます。そういう古典の筆者の主張・テーマを中心に私は扱っていきます。